【2021札幌】盛夏の花手水巡り!今年は全19社!全て巡ってきました。

2021-12-13たび旅, 写真・カメラ

去年に引き続き開催された夏の花手水巡り。今年は7/22~7/25の4日間限定で開催されました。

昨年は9社で実施された花手水めぐりでした。

今年はなんと倍以上の19社で開催とのこと!

一気に数が多くなり、かなり慌てました^^;

落ち着くために、冷静に一覧表を作ってみました☆彡

神社名市・区googleマップ北海道神社庁
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札幌護国神社札幌市中央区 リンク リンク リンク
弥彦神社札幌市中央区 リンク リンク リンク
伏見稲荷神社札幌市中央区 リンク リンク
琴似神社札幌市西区 リンク リンク
発寒神社札幌市西区 リンク リンク リンク
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新琴似神社札幌市北区 リンク リンク リンク
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月寒神社札幌市豊平区 リンク リンク
豊平神社札幌市豊平区 リンク リンク リンク
廣島神社北広島市 リンク リンク
錦山天満宮江別市 リンク リンク リンク
千歳神社千歳市 リンク リンク
当別神社当別町 リンク リンク

今回は19社と数が多いため、効率よく回るにはルート設定を考えたほうがよさそう。googleマップに各社の位置をプロットしてみました。

札幌市内の巡り方はともかく、当別神社と千歳神社が市内からかなり離れているので、どの順番で行くか悩みどころ。その上、すべてを回ると200km近くの距離を移動することになるので、1日で回るのは厳しいものがあります。

小生は日程を複数に分け、札幌市内東側+千歳、北広島、江別、当別とそれ以外とを分けて訪問することにしました。

それでは今年も、GoTo花手水めぐり!

訪問した順番に紹介していきます。以下の写真はすべて画像共有サイトflickrにアップし、そこから引用する方法で掲載しました。写真は全てSONY a7III+SIGMA MC11+SIGMA 24-105mmF4で撮影し、Capture1で現像しています。

第1社:月寒神社(札幌市豊平区)

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豊平区にある月寒神社からスタート!月寒はツキサムと読みます。古くはツキサップと読んでいました。

月寒神社は札幌市と室蘭市とを結ぶ国道36号から少し住宅地に入った、月寒公園の脇に鎮座しています。由来は次のとおり。

明治33年(1900)9月7日創立、大正7年11月2日村社列格。明治17年9月札幌郡豊平町字西山通に鎮座する。同33年9月7日北海道庁指令2307号を以て無格社西山神社と公称し創立許可。同36年10月28日、月寒神社と改称し月寒村17番地へ移転を出願する。同37年5月24日移転許可を受ける。大正7年2月16日、月寒498番地(現所在地)へ移転許可を出願し、同年3月4日移転許可を受ける。同年11月2日村社に列格、幣帛供進神社に指定される。昭和46年12月2日社殿、参集所、社務所御造営が竣功し現在に至る。

月寒神社 – 北海道神社庁のホームページ
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暑い日でしたが参道が日陰で助かりました・・・

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花手水をまずはチェック!

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月寒神社の手水鉢の特徴は、水面がハート型になっていること♡

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社殿が見えてきました。

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狛犬は比較的新しそう。巻いたたてがみが凛々しい!

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第2社:大谷地神社(札幌市厚別区)

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大谷地はオオヤチと読みます。札幌市と旭川市とを結ぶ交通の大動脈、国道12号に面したところに、大谷地神社は鎮座しています。南郷通りとも近く、また道央道札幌南ICにも近いので、このあたりは札幌の東側の交通の要所ともいうべきところ。大谷地神社の由来は次のとおり。

明治17年創設総代会を発足、大谷地住民の永久守護神と仰ぎ国安く民に福をと祈り、一同協議の上明治30年に道庁へ提出、無格社となり明治33年創設落成届提出、昭和21年に宗教法人大谷地神社となり、初代宮司三橋吉四郎となる。境内地には樹木多く、札幌市より保存林として指定されている。昭和49年社殿御造営、同年8月、遷座祭並び奉幣祭執行、現在に至る。

大谷地神社 – 北海道神社庁のホームページ
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古い社碑。大谷地神社の上に無格社と掘ってあったのが、白い漆喰かなんかで潰されていますね。

旧社格制度とは?県社・郷社・村社・無格社・無願神祠とは | 札幌の神社と御朱印巡り~札朱(サッシュ)

無格社とは旧社格制度上の分類だそうで、1945年に廃止されたので、塗りつぶしてあるのでしょうか。

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喧しい札幌市街にあるのが信じられないくらい、静かな境内です。

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これが手水舎。

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涼やかに配置された花のむこうに、ウサギちゃんがいました!!

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ちょっとスマートな狛犬。

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社殿はこんな感じ。

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境内の杉の木は、周りをアスファルト舗装されず、こんなかわいく彩られていました。

第3社:厚別神社(札幌市清田区)

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厚別という漢字は読み方に注意。厚別区はあつべつくと読みますが、厚別神社あしりべつじんじゃと読みます。清田区のこのあたりを昔は厚別(アシリベツ)と読んだそうですが、この読み方は現在はこの神社のほか、河川の名前(厚別(あつべつ/あしりべつ)川)やアシリベツの滝、またそれらを引用した固有名詞(病院名など)などに残っています。

厚別川 – Wikipedia

厚別神社の由来は次のとおり。

当神社は、この地に最初に入地した長岡重治が明治7年開墾地の片隈に小祠を作り朝夕拝礼していた。開拓が進むにつれ自分だけでなく他の同僚にも詣でてもらいたいと浪岡誠一郎等に相はかり、厚別川東側(現在の旧国道)に合掌作りの社を明治18年9月に建立し、前記3柱の神霊を奉斎し五穀の豊饒と地域住民の安全を祈願したことに由来し爾来鎮守の氏神として尊崇せられるにいたった。大正6年4月、現在地に本殿遷座。昭和5年9月には公認神社に認定される。昭和21年8月、宗教法人設立。昭和45年9月5日には新社殿を御造営し落成する。

厚別神社 – 北海道神社庁のホームページ
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場所は清田区役所のすぐ裏手の高台にあります。区役所側からは急な階段を登りますが、南東側にも鳥居があり、参道はまっすぐに社殿まで続いています。

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手水舎をチェック。

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黄色、ピンクといった暖色系の花が華々しい!

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社殿にはしめ縄が。

第4社:千歳神社(千歳市)

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次は約40km先にある千歳神社に向かいました。

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今回の旅で訪れた中ではたぶん最も広い敷地を持つ千歳神社。すぐとなり(この写真の右)に流れる千歳川は、支笏湖から流れ出して北上し、江別市で石狩川に注ぎます。千歳神社の由来は次のとおり。

松前藩資料福山秘府によると、「弁財天小社東夷地、志古津、万治元戌造営、同3年神体ヲ安置」とあり、万治元年(1658)に弁天堂が建立され、享和3年(1803)に樺太南部探険に功績のあった勇払詰所役人高橋治太夫が、思古津場所の守護神として、京都伏見から正一位思古津稲荷大明神を奉斎し、文化2年(1805)に思古津場所の鮭漁が栄んになるに従って、さらに弁財天が勧請された。この文化2年に奉られた弁財天の御厨子の裏に、箱館奉行羽太正養により「死骨」(シコツ)から「千歳」と改称された由来が書かれ、この地を千歳と改め、明治8年主祭神を豊受姫大神とし、同年郷社に列し、大正6年稲荷社を千歳神社と改称して、昭和51年現社殿を造営し、今日に至っている。

千歳神社 – 北海道神社庁のホームページ
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いろいろなものが大きいのですが、鳥居もでっかい!

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参道を登っていきます。敷地は広いけど、社殿はやはり高台にあるのですね。

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長い参道の途中に手水舎がありました。

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なんと涼やか!!イエロー基調の花の中に浮かぶ紫色が全体をキリッと引き締めています。

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ようやく社殿が見えてきました。

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ここの狛犬は・・・狐??

由来を改めてみてみると、千歳神社はもともと稲荷社だったとのことです。

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社殿もやはり大きい!

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近くに神水をいただける場所がありました。

そろそろお賽銭の残りが心もとなくなってきました(笑)。いや、残り1社なら高額硬貨を奮発しても良いのですが、残り15社ありますから。

コンビニで食料や飲料水を補給しますが、現金で支払って小銭を作り、次に向かいました。

第5社:廣島神社(北広島市)

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次に向かうのは北広島市にある廣島神社。北広島市役所を見下ろす高台にあり、近くを輪厚(わっつ)川が流れています。由来は次のとおり。

明治16年4月和田郁次郎が広島県から北海道へ渡航の途次、伊勢参宮をし開墾農事の成功を乞願い移住者等の守護神として御分霊を拝受し当地へ着くや清浄なる地を撰び、小祠を建て奉斎した。その後広島県からの移住者を待合せ方3尺余の仮社殿を建て奉斎し明治19年に社殿造営し、同23年には増築し御祭神2柱を増祀した。過去に3度の社殿改築があり、現社殿は昭和55年12月に造営したものである。

廣島神社 – 北海道神社庁のホームページ

どこもそうですが、北海道の神社の歴史は、蝦夷地開拓の歴史をそのままなぞっているかのようです。北広島市の歴史は、その名のとおり広島県からの開拓者によって拓かれたことに発します。

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市内中心部にもかかわらず、静かな境内。

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狛犬は大小2対。

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手水舎のお花は、どんな感じかな~

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シンプルかつ大胆!!

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社殿はこんな感じ。

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この時期は北海道も異常な暑さが続いていましたが、風鈴の音は、どうしてでしょう、心が休まります。

第6社:錦山天満宮(江別市)

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江別市野幌にある錦山天満宮です。由来は次のとおり。

明治18年、翌19年、九州各県・山口・広島・岡山・鳥取の各県から野幌屯田兵の入植により原始の密林を開拓し、入植者の「心のよりどころ」として明治22年伊勢皇大神宮から御分霊を奉斎したのが始まりである。昭和62年には御鎮座百年を迎えた。創祀当時は「錦山神社」として野幌地域の鎮守、五穀豊穣の神として崇拝されていた。昭和48年、九州太宰府天満宮から菅原道眞公の御分霊を奉戴し、錦山天満宮と改名して以来「天神さま」の御神徳を仰ぎ今日に至る。平成2年には、太宰府天満宮より御神納の梅の苗木を賜り、境内には梅園が造成された。また、受験シーズンになると、近くの中学・高校生を始め道内各地の受験生が合格祈願に訪れる。

錦山天満宮 – 北海道神社庁のホームページ
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もともと神社だったのが、太宰府天満宮から菅原道真の分霊を受けたことで天満宮となったそう。ですのでここには、天照皇大神と菅原道真が祀られており、野幌の天神さまと地元では親しまれています。

錦山というのは、このあたりにはほとんどない地名ですが、wikipediaには次のとおり記載がありました。

1885年 – 1886年(明治18 – 19年)、集団入植した屯田兵が、熊本市の錦山神社から受けた加藤清正の分霊を守護神として祀る
1889年(明治22年)、屯田神社として創建
1899年(明治32年)5月、練兵場の一角に移転するとともに、伊勢神宮からの分霊を受けて天照皇大神を祭神とする(以下略)

錦山天満宮 – Wikipedia

加藤清正はもう祀られていないのでしょうか。でも、最初に入植した屯田兵の心は、錦山という名前に残っているのですね。

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手水舎をチェックします。

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立体感というか、高さを生かした大変躍動感のある花手水でした!

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かなり歴史のありそうな狛犬です。

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社殿はこんな感じ。

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錦山天満宮にも風鈴があり、旅人の心をいっとき冷やしてくれました。

第7社:当別神社(当別町)

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当別神社は、札幌市の北東にある当別(トウベツ)町にあります。阿蘇公園の一角に鎮座し、近くには当別川が流れています。由来は次のとおり。

明治5年伊達邦直公は家臣と共に厚田村シップから当別に移り開拓記念樹の傍らに小社を奉遷し阿蘇神社と称し8月15日を例祭日と定める。同24年1月12日邦直公は58歳で卒去され、翌年旧臣等の篤い敬慕の思いにより内務省へ神社創立の願いが出され同29年認可となり同年8月15日奉斎する。大正5年7月20日村社、同9年開基50年に当り社殿を造営。昭和42年社名を当別神社と改称し、同44年町開基100年の前年に45坪の社殿を再度造営する。平成8年、邦直公奉斎100年を記念し大祭を斎行。同18年、110年を記念し、社務所を改築し現在に至っている。

当別神社 – 北海道神社庁のホームページ

伊達邦直 – Wikipedia

伊達邦直は明治維新後北海道の開拓に身を投じ、当別町では開拓の功労者としてこの神社に祀られるほか、近くには伊達記念館もあるほど慕われています。この当別神社は人神のみを祀っているのですね。

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当別神社もかなり広い境内です。

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開拓記念樹や伊達邦直を称える石碑などもずらり。

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手水舎をチェックします。

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カラフルで華やかなのに、涼しい気分を味わえました!!

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歴史を感じる狛犬です。

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社殿に到着。

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社殿はもちろん、広い境内もきれいにされていて、地域住民の信仰を集めている神社であることが伝わってきます。

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花手水ではありませんが、境内にある碑石のまわりもよく手入れされていました。

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元当別町長で名誉町民の近藤辰雄氏の像。

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境内には聖徳太子を祀った聖徳神社もありました。

第8社:豊平神社(札幌市豊平区)

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豊平神社は、国道36号に面した豊平区豊平にあります。豊平はトヨヒラと読み、由来は次のとおり。

主祭神上毛野田道命は、崇神天皇の皇子豊城入彦命より5代目の子孫にして東北地方の守護神として厚く崇敬せられ、特に延暦年間征夷大将軍坂上田村麻呂が奥羽地方平定に向かわれた時、田道命の神霊の御加護によりてこれを平定することができ、後に今の青森県南津軽郡猿賀山に神霊を勧請して社殿を建立したもので、猿賀神社は当神社の本社に当たる。当地域は東北地方移住者多く、それゆえに故郷の氏神様をお祀りしたものである。さらに当豊平地区は開墾の途上で森林遠く連なり、これが伐採に大山祇神を祀り、開墾進み沃野美田の広がり行くにつれて倉稲魂神(稲荷大神)を合祀して豊平地区の氏神様として奉斎され現在に至った。

豊平神社 – 北海道神社庁のホームページ

ここにも東北地方移住者の文言が出てきました。豊平区の北側に白石区があるのですが、白石区もまた仙台藩白石城の家臣の移住にその歴史が始まっています。

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手水舎はこんな感じ。

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豊平神社手水舎の龍は、小生が知る中でも群を抜くかっこよさです!

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社殿の手前に狛犬がいるのですが、なんか・・・赤い?

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赤いマスクを付けていました。狛犬にも厳しい時代です。

第9社:札幌護国神社(札幌市中央区)

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札幌護国神社と次に訪れる弥彦神社は、札幌市中央区にある中島公園の脇にあります。札幌護国神社の由来は名前ですぐにわかりますが、公式情報としては以下のとおり。

明治10年の西南の役に戦病没した屯田兵の霊を祀る。 有栖川熾仁親王により屯田兵招魂碑と題し、明治12年8月2日屯田兵司令部に於て祭祀を斎行する。明治40年2月中島公園に移転し、明治27・28年の日清戦争の戦病没者を合祀し、明治37・38年の日露戦争の戦病没者の合祀のため忠魂碑を建て、乃木将軍之を題す。昭和8年11月17日現在地に札幌招魂社を造営し官幣大社札幌神社に奉斎せる神霊を此処に奉還する。昭和11年昭和天皇北海道行幸の砌、祭粢料御下賜。昭和14年4月1日内務省指定の護国神社となる。終戦により昭和21年4月30日神社本庁に所属、同年12月12日札幌彰徳神社と改称する。昭和26年10月23日境内社多賀殿を奉斎神社本庁承認。昭和47年2月3日昭和天皇皇后両陛下御親拝。昭和54年7月6日札幌護國神社御創祀百年奉祝祭。平成7年8月15日天皇陛下奉幣臨時大祭執行。

札幌護國神社 – 北海道神社庁のホームページ

祀られているのは護国の神霊。平たくいうと戦没者です。戦没者を祀る施設というと、小生はいつも靖国神社を訪れたときのことを思い出し、複雑な感情を抱かずにはいられなくなります。

ともあれ、今回は花手水を巡る旅なので、楽しく行きましょう!

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札幌護国神社もかなり広い境内です。手水舎は境内北側の道路、いわゆる行啓通りの近くにあります。

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3つのスペースに3つの小鉢というシンプルかつ、緑草も効果的に使いこだわって生けられた印象。手水鉢の☆マークは、開拓使のシンボルである五芒星でしょうか。

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社殿手前の門の脇に狛犬がいます。マスク着用してます。

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門には札幌護国神社の文字が彫られた額がありました。

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門から社殿を臨みます。

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護国神社境内に多賀神社があります。お多賀杓子で有名な多賀大社の分祀です。祭神は日本神話の祖、伊邪那岐命と伊邪那美命。

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花手水ではありませんが、多賀神社にもきれいな花が生けられ、猛暑の中ほっと一息つくことができました。

第10社:弥彦神社(札幌市中央区)

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札幌護国神社から徒歩2分ほどのところにある弥彦神社ですが、門柱には伊夜日子神社と記されていました。弥彦は正しくはいやひこと読むそうです。東京オリンピックのマラソン競技では、まさにこの鳥居の前の道を選手たちが駆け抜けていきました。

由来は次のとおり。

当社は明治45年1月、当地に越後一の宮弥彦神社の御分霊をお祀りし、逐年崇敬者弥増し、大正11年8月村社に、昭和13年郷社に昇格、境内の施設も整備され名実共に札幌市の守護神として市内一円の氏子崇敬者の崇敬篤く、地域の発展繁栄と歩みを共にした。昭和45年7月太宰府天満宮より御分霊を拝戴御増祀した。昭和61年7月斎行の御創祀七十五年大祭の記念事業として社殿御造営、社務所新改築、大鳥居改修、更に平成の御大典と御創祀80年を記念し、手水舎並びに参道改修を行い境内地を整備する。また、平成13年には、御創祀九十年大祭の記念行事とし、60年振りに御神輿の渡御を行い氏子区域を巡行した。こうして産土神としての御神威の発揚、御神徳の顕現に努める。祭神は天香山命(天照皇大御神の曽孫神)、配神は菅原道真公(太宰府天満宮)。合祀記念祭並びに献花祭は1月最終土曜日。

弥彦神社 – 北海道神社庁のホームページ

新潟の彌彦神社の分祀ですが、錦山天満宮と近い時期に菅原道真を祀るようになったようですね。

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彌彦神社名の提灯がかかった手水舎。

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ユリを中心としたカラフルな花々があしらわれた花手水でした。

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境内は狭く、とてもコンパクトなのですが、札幌市のど真ん中とは思えないほど種々の木々に囲まれています。

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狛犬。胴体のぐるぐる模様がチャーミング。

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まるでできたてのように、きれいに保たれた社殿です。

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弥彦神社のすぐ前のマンホールの蓋は、札幌らしい意匠があしらわれ、きれいに彩色されていました。

第11社:伏見稲荷神社(札幌市中央区)

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旅も後半戦に入ってきました。11社目は札幌の高級順宅地のひとつ、伏見にある伏見稲荷神社です。由来は次のとおり。

明治17年京都伏見稲荷大社の御分霊を札幌市南5条に奉斎し、明治40年当地に社殿を建立し、稲荷神社として創立の許可を受ける。大正8年村社に列各、昭和16年郷社に昇格した。当神社の御祭神お稲荷様は衣食住の太祖であり五穀豊穣、殖産興業、商売繁盛の守護神として遍く万民の崇敬を集めるその御神威を、高く拝せられる由縁である。

伏見稲荷神社 – 北海道神社庁のホームページ

伏見 (札幌市) – Wikipedia

伏見という地名は、伏見稲荷神社が名前の由来なのだそうです。

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稲荷神社といえば、連なった赤い鳥居がトレードマークですよね。

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藻岩山山麓に位置する伏見は、札幌市中心部よりやや標高の高い地域ですが、伏見稲荷神社はさらに高いところに鎮座しています。社殿はこんな感じ。

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稲荷神社らしく、手水舎の屋根も朱色です。

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花手水も、なんとなく赤系の花が主役でした。

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手水舎の屋根を支える柱の根元に、松ぼっくりが並べられていました。

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連なる鳥居には、なぜかとっても惹かれます。なぜだろう・・・

第12社:琴似神社(札幌市西区)

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琴似はコトニと読みます。琴似神社は札幌市西区役所の向かいにあり、札幌市営地下鉄東西線琴似駅から近く、またかつての国道5号であり、現在でも札幌市内と手稲、小樽方面とをつなぐ道道124号がすぐそばにあるという好立地です。由来は次のとおり。

明治8年北海道開拓使最初の屯田兵として琴似に入植した240戸の人々は旧亘理藩(宮城県)藩祖伊達藤五郎成実公の遺徳を敬慕して武早智雄神と尊称し、御神徳を北海道開拓の上に顕彰するため武早神社と号し創建した。明治30年その鎮座地を山の手5条1丁目に移し、神祠を移築して本殿とし、更に幣殿、拝殿を造築した。明治44年に大国主大神を御増祀。大正4年、現在の御鎮座地に遷座し、郷社と認定される。紀元二千六百年を記念した境内の大改修と共に昭和42年、諸施設整い、伊勢神宮の特旨を仰いで同年10月28日特別神璽を拝受、両宮の神々を御増祀、更に平成6年旧会津藩(福島県)藩祖保科正之公、土津霊神を御増祀、大先祖の神々の民族生成発展の御理想を欣仰いたしている。

琴似神社 – 北海道神社庁のホームページ

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琴似神社の狛犬は2対あるのですが、こちらは手前側の狛犬。

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手水舎の撮影を失念してしまいました。花手水は光を反射するフィルムを効果的に配置した、創意にあふれるもの。

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門の手前にもう一対の狛犬が踏ん張っていました。

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参道の真ん中に杉の木とそれを取り囲む植木があります。

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重厚で歴史を感じる社殿です。

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3つに別れた杉の木など、興味深い樹木の多い境内です。

第13社:発寒神社(札幌市西区)

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内地の方にとっては難読地名が続きますが、発寒はハッサムと読みます。琴似の北西に位置する地域で、ここにある発寒神社の由来は次のとおり。

安政3年(1856)蝦夷地開発の幕命を帯て、山岡精次郎主計守以下17名この地に移住、稲荷社を創建して祭祀を篤くし、北辺開明の基をひらく。明治8年(1875)、北海道屯田兵の第1陣として、32戸この地に入植されるや社運愈々興り、明治31年12月宗祖と崇められる伊勢大神宮より、豊受大神の分霊を拝賜、同32年3月神社明細帳に記載。同36年1月北海道石狩国札幌郡発寒村稲荷神社から、発寒神社と改称、北海道庁長官より認可される。尚当境内地に古代遺跡(10世紀前後)の墳墓及環状列石(ストーンサークル)がある。

発寒神社 – 北海道神社庁のホームページ
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境内がきれいに舗装されていたり、いかにも新しそうな狛犬がいたりしており、近年になって改築されたような感じ。

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花手水はここです。

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ブルー系の爽やかな花で彩られています。

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社殿の前に来ました。

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ここに先ほどのものより明らかに古い狛犬一対と、賽銭箱のすぐ横にもう一対の狛犬がいました。

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屋根の作りは重厚です(語彙力がなくてすみません)。

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社殿のすぐ横にはストーンサークル跡があります。10世紀頃のものだそうです。

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神社南側にも鳥居と門柱があります。発が旧字で記されているなど歴史を感じます。もしかしたら正式な入り口はこちらかもしれません。

第14社:手稲神社(札幌市手稲区)

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札幌市の最も西に位置する手稲区は、もともと手稲町だったのですが、1967年に札幌市と合併、1972年に札幌市が政令指定都市へ移行したことにより西区の一部となり、1989年に西区から分区し手稲区となりました。1989年は平成元年で、厚別区が白石区から分区したのも同じ年です。手稲神社の由来は次のとおり。

手稲村の移住民は札幌神社に参拝することを常としていたが、冬季・農期の参拝の不便さを感じ村中250戸にて明治29年12月26日札幌神社正式遥拝所設立を出願、翌年9月4日許可された。軽川遥拝所として崇敬されたが、村勢の高揚により同31年9月10日に神社に引き直しの儀出願、翌32年5月18日に許可され手稲神社と公称する。大正6年8月23日村社列格、昭和16年4月1日郷社列格。大正元年9月30日稲穂神社合祀、昭和47年10月8日小樽内川稲荷神社合祀、昭和48年10月13日新川神社合祀。明治37年3月28日に神社公称許可以後初の社殿御造営が行われ、昭和9年、昭和48年と過去3回社殿造営が行われ、平成21年に御鎮座110年を迎え銅板屋根葺替を始めとする殿内改修工事を行った。また社務所も昭和9年と昭和46年に加えて、御鎮座100年を記念し平成11年に現社務所を新築し、合計3度造営工事が行われた。昭和22年10月8日手稲山頂に手稲神社奥宮を建立した。

手稲神社 – 北海道神社庁のホームページ
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手稲区は手稲山山麓から石狩平野にかけて広がっていますが、交通や区政の中心であるJR函館本線沿線や国道5号周辺は山麓の際が近く、比較的高低差があります。手稲神社の境内も、まさに高低差の現場という趣です。

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階段参道の途中に狛犬。

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手水舎も、崖に近いところにあります。

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花手水と、上空に吊るされたくす玉みたいな花玉の、ダブル花手水!

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ブルーとバイオレット基調の花手水。癒やされます。

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社殿は階段を登りきったところにありました。ここに古い狛犬が一対いました。

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賽銭箱の横にも花が生けられていました。

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由来によると、昭和22年(1947年)に、手稲山山頂に奥の宮を建立したとのこと。ここの境内の一角には遥拝所が設けられました。

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こどもの健やかな成長を願うせのび石もありました。

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社務所横には御神木がありました。改築を繰り返しながらも、古いものを大切に保存する姿勢に、小生も背筋を伸ばす思いです。

第15社:星置神社(札幌市手稲区)

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星を置くとはなんと素敵な地名なのでしょう。星置はホシオキと読み、札幌市の最西端に位置する地域です。星置神社は国道5号に面した高台に鎮座しています。神社の看板とともに、政治家のポスターも気になります。

星置神社の由来は次のとおり。

明治17年広島県佐伯郡より16戸の入植があり星置の開拓が始まった。その後、山口県・富山県・青森県からの移住により村落を形成、移住者達は苦楽を分かち合う心の拠り所として、明治20年星置153番地(現在の星置1条7丁目18)に木造の小祠を建立、郷里より奉持した御祭神を奉斎し村落の安泰と発展を祈願した。明治45年(大正元年)現在の神社境内地、星置17番地2(現在の星置南1丁目8-1)を得て、翌年に星置開村30周年記念碑と共に軟石造りの小社を建立し、神霊を移遷した。昭和48年現在の社殿が御造営された。その後、昭和50年社務所御造営、昭和61年には社務所増築が行われた。そして平成十年東参道の造成、翌年には上下水道敷設をはじめとする境内整備が行われた。

星置神社 – 北海道神社庁のホームページ
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階段を登ると、鳥居と星置神社の門柱が見えてきました。

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手水舎は、なんとなくほかより簡素かな??

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手水を出すのはカエルの置物。星型をモチーフにした遊び心のある花手水です。星置神社にはカエルの置物が多数置かれています。カエル好きの人にはたまりませんね。

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社殿の手前に狛犬。

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狛犬もマスク着用。

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振り返ると、星置の街と遠くに石狩湾が見えました。

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結ばれた2本の銀杏の木は、その名もむすびの銀杏。縁結びや子宝にご利益があるそうです。

第16社:新川皇大神社(札幌市北区)

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新川皇大神社は、札幌市北区新川にあります。新川とは、明治時代に作られた人工河川で、治水と周辺の湿地の排水のために作られたそう。札幌北部の開拓の肝だった人工河川のひとつです。

新川皇大神社は、まさに新川の出発地点の脇に位置しています。由来は次のとおり。

明治の大御代も半ばの頃、新琴似部有地開墾に当って、榛茅繁茂し「罷狠」出没激しく、春秋の洪水等幾多の辛酸を経ていた。茲に小部貞次郎・木原常蔵・村上三蔵等が発起人となって、手稲の高峰を仰ぎ見る石狩原頭、流れ絶えせぬ新川の傍りに御座を定め、明治37年9月氏子を挙げて盛大に地鎮祭を斎行し、明治41年9月20日発起人小部貞治郎・木原常蔵・佐々木易吉・鶴巻豊吉・高木文次郎・三戸部義則・古川藤右ェ門を始め、氏子37名が鎮座祭に御奉仕申し上げた。昭和15年9月損傷により、皇紀二千六百年記念事業として、下新川青年分団が奉仕され、改築工事を施し、北海道開発庁の計画による新川拡張工事の為昭和31年9月19日造営会長神社総代近藤茂委員長・釜口利七郎・佐々木幸三郎・藤井米喜・佐々木養吉等が発起人となり、47名の氏子総代が供奉申し上げ、厳粛盛大に本殿遷座祭が奉仕された。

新川皇大神社 – 北海道神社庁のホームページ

出ました、羆(ヒグマ)の出没!!筆舌に尽くしがたい状況だったことは想像に固くありません。

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狛犬はこんな感じ・・・というか、なんか何もかも新しいんですけど!?そして露天が出てる!?お祭り??

公式サイトによると、昭和60年に本殿の、平成7年に社務所が改築されたとのこと。どおりで何もかも新しいわけですね。ただ境内、隣接する駐車場ともきれいに舗装されていて、樹木も境内正面側にほとんど無いため、コンクリートやアスファルトの照り返しで大変暑かったです。

また、花手水開催に合わせて露天を出店させているとのことでした。

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手水舎は参拝者が多く撮影できませんでした。最初の写真の参道左手にあるのが手水舎です。手水は麒麟でしょうか?可愛らしい花が飾られていました。

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社殿もキレイです。右に社務所、左に樹木が見えます。

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賽銭箱の周りにも、お花がたくさん飾られていました。

第17社:新琴似神社(札幌市北区)

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新琴似は市営地下鉄南北線の北のターミナル・麻生(アサブ)駅の北側の地域で、その名のとおり新しい琴似が地名の由来です。

現在の琴似は西区の中心地域ですが、前身である琴似町、さらにその昔の琴似村には現在の北区・中央区・手稲区の一部も含まれていたそうです。新琴似は琴似より後に入植が始まったため、新の文字を冠するようになりました。もともと琴似町の一部だったものの、1955年に札幌市に編入され、1972年の札幌市の政令指定都市移行に伴う行政区制によって北区の一部となりました。

新琴似神社の由来は次のとおり。

明治20年5月20日、陸軍屯田兵歩兵第一大隊第三中隊が開拓使札幌本府の北方、新琴似の地に入植し、入地後ほどなく中隊本部(現在・札幌市有形文化財指定)の東方、浄泉の湧き出る四神相応の浄地を相してその社地と定め、小規模ながら、天照皇大御神・豊受大神・神武天皇の三柱の神を奉斎する神祠が営まれ、開拓の守護神として御鎮斎されたのが、新琴似神社の創祀である。明治39年5月19日、奉遷式(奥殿造築)斎行。大正2年9月21日、奉遷式(社殿御造営)斎行。大正6年3月3日、内務省より創立許可。大正14年6月30日、村社列格。同年9月11日、神饌幣帛料供進神社指定。昭和6年12月25日、社務所新築竣功。昭和28年2月27日、北海道より宗教法人(神社本庁包括)認証。昭和40年10月20日、本殿遷座祭(社殿・社務所改築)斎行。同年11月8日、奉祝臨時大祭斎行。同年11月18日、祖霊殿鎮座祭斎行。昭和60年9月15日、社務所改築竣功。平成18年9月19日、本殿遷座祭(社殿・社務所増改築)斎行。同年9月23日、祖霊殿遷座祭斎行。平成19年6月20日、御鎮座百二十周年記念大祭斎行。平成27年9月23日、祖霊殿鎮座五十年式年大祭斎行。平成29年6月5日、鎮座百三十年記念大祭斎行。

新琴似神社 – 北海道神社庁のホームページ
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鳥居をくぐり参道を歩くと、まずは歴史を感じる狛犬に迎えられます。

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これが手水舎。どんな花手水でしょうか・・・?

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白と赤の花たちの真ん中に、なんとアマビエがいました!一緒に祈りましょう!悪疫退散~~~!!!

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社殿の手前に、もう一対の狛犬がいました。こちらは少し新しそう。

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そんなに晴れなくていいよ、って言いたいくらいの好天が続いている時期だったので、青い空に趣ある神社建築が映えます。

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古い碑も保存されていました。開拓時代の人たちは、どんな思いでこの碑を見つめていたのでしょうか?

第18社:江南神社(札幌市北区)

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江南神社は新琴似の北、屯田地区にあり、すぐとなりには屯田小学校があります。屯田とはすなわち屯田兵のことであり、屯田兵によって開拓されたこの地域には屯田という名前がそのまま残りました。江南神社はまさに屯田地区の中心にあるのですが、由来は次のとおり。

屯田兵として家族とともに使命に服さんとして徳島県の士族29世帯、和歌山県37世帯、山口県44世帯、福岡県12世帯、熊本県46世帯、福井県20世帯、石川県32世帯、計220世帯1056名が相模丸にて小樽入港、明治22年7月14日上陸、翌15日汽車で琴似駅下車、徒歩で現在地に到着、屯田兵第4中隊本部に入り兵屋の割振りは抽選で夫々入居した。屯田兵第1大隊の指揮下にあり(1)屯田兵として北方防備第一線に献身する(2)北海道開拓の先駆者となることの二大使命があった。兵は連日厳格な軍律のもとで教練を受け家族も又教令に従って開墾に励み開拓の大きな使命を遂行した。子孫のため楽土建設に汗を流したのである。これ等氏子の団結によって今の屯田があり江南神社も2度3度の建替により現在に至る。

江南神社 – 北海道神社庁のホームページ

江南という名称については、江南神社ウェブサイトに記載がありました。

(前略)明治二十九年の日清戦争が終わった翌年、出征した屯田兵が戦場に至らぬ前に終戦となって無事帰還できたのも神の御加護によるものとして大社造りの社殿を新築し、神社名も正式に江南神社と決めた。「江南」の語源は篠路兵村入植の当時は、石狩川の本流が現在の茨戸川であり、茨戸、花畔地区を貫流していたことから、誰となく川の南、江南という地名が生まれ、石狩川の南岸に位置する神社として「江南神社」と命名された。(後略)

札幌市北区にある神社|江南神社

石狩川の治水工事により現在は三日月湖化している茨戸川が昔の石狩川本流であり、その南側の地域だから江南とのこと。ブラタモリ風にいうと、土地の歴史ってのは消せないものですね。

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鳥居から社殿まで、一直線に参道が続きます。

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歴史のある狛犬。この地をずっと見つめてきたのでしょう。

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屋根の大きな手水舎でした。

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黄色や緑で彩られた花手水。

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風鈴が涼しげに鳴ることも。それでも猛暑でしたが。

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手水桶の横にも花!

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社殿手前にももう一対の狛犬がいました。

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もしかしたら、さらに古い狛犬かもしれません。

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鈴はコロナ禍でほとんどの神社で取り外されていますけど、江南神社には取り付けられたままでした。なんだか懐かしい光景です。

第19社:札幌諏訪神社(札幌市東区)

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最後に訪れたのは札幌諏訪神社です。創成川に面した東区北12条東1丁目にあります。由来は次のとおり。

明治11年信濃の国人、上島正他30余名がこの地に移住し開墾を始める。移住者の総意により、明治15年3月12日信濃国一の宮・官幣大社諏訪神社より御分霊を勧請して奉斎。明治31年2月14日内務省出願列格(無格社)。昭和9年4月19日村社に列格。この年札幌村から札幌市に編入されるにあたり、村の基本財産を以て社殿、社務所を造営。昭和20年郷社への昇格申請。昭和41年新社殿造営。同57年御鎮座百年祭斎行。平成4年御鎮座百十年祭を斎行し、社殿大屋根銅板葺替他事業を施す。平成14年御鎮座百二十年祭斎行。平成24年御鎮座百三十年祭を迎える。

諏訪神社 – 北海道神社庁のホームページ

この地を開拓した信州人が明治15年(1882年)に諏訪神社の分霊を祀ったのが始まりです。創成川はこのときすでにありましたから、もしかしたら創成川に面した場所に置いたのかもしれませんね。

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境内は比較的狭く、参道からすぐに社殿に届きます。

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まずは手水舎をチェック。カラフルな番傘や丸い玉が配置されてなんだか楽しい雰囲気です!

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これは、日の丸ですね!そしてここにもアマビエが!

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社殿のすぐ前に狛犬がいました。

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やはり狛犬はチェックしたいです。神社によって異なるので飽きません。

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社殿にはたくさんの絵馬と、七夕飾りが奉納されていました。

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ここにも花が!

まとめ。全19社を巡ってみて。

というわけで、3日間掛けて全19社を訪れました。それぞれの由来を読み、実際に訪れて、神社の歴史は蝦夷地開拓の歴史とほぼ同義であるということを思い知りました。北の大地の原野に下り立ち、困難と立ち向かう心の拠り所となったのが、故郷から持ち込んだ神社であり、故郷の地名であったわけです。一方で、和人の視点からすれば異国の地名であるアイヌ語由来の地名を尊重し、残しているというのも興味深いところ。今後もいろいろな神社を訪れたいです。

今回の花手水巡りでは、昨年もらった御朱印はもらわず、昨年訪れていない神社のみ御朱印をもらいました。またすべての神社でお賽銭を入れましたが、途中で小銭がなくなり、コンビニで無理やり現金払いをして小銭を作るなど、時間を無駄にした一面も。たくさんの神社を巡るなら、あらかじめ小銭を作っておくのをおすすめします。