【モヤイ】東京で水カン聖地を巡った【バッキンガム】


水曜日のカンパネラの名曲「モヤイ」、そして「バッキンガム」。名前からすると世界に名だたる建造物を連想しますけど、いずれも東京都内にあるランドマークや地名をもとに作られたジャパニーズな楽曲なのです。楽曲のもとになった場所、すなわち聖地を旅してみました。
モヤイ
モヤイ像は渋谷駅西側にあります。歌詞にあるとおりハチ公前やヒカリエのように人がめっちゃ集まるエリアではなく、バス停からも少し離れた人通りの少ないエリアです。ホントかな?と思っていたのですが、本当に人通りが少ないところでした。

渋谷駅から歩いて数分・・・いた!

本当に街なかにある!そして下調べなく行ったので驚いたのですが、モヤイ像ということで全身像かと思っていたのですが、まさかの顔だけで更にびっくりしました。

新島のモヤイ像なる碑文がありました。新島とは太平洋にあり東京都に属する島です。
モヤイ像とは聞き慣れず、モアイ像という呼び方が一般的だと思っていたのですが、モアイとモヤイとは異なるようです。
モヤイ像って何?
渋谷のモヤイ像ってとても有名ですよね? 実は新島村が贈ったモヤイ像なんです。
新島のモヤイ像、その起源は1964年の東京五輪後、島民である大後友市さんが島おこしの起爆剤として新島特産のコーガ石を使って「流人のオンジイ(島の言葉でインジイ)」を彫ったことからはじまりました。
新島は江戸時代から明治初期まで、流刑地として1,000人以上の人が流され、その中にいた豊富な知識で島民に慕われていた「流人のオンジイ」をモチーフにしたのがその経緯です。
1977年から数年間、観光客にモヤイ像を彫ってもらう体験ツアーが開催され、島内にモヤイ像が点在するきっかけとなりました。モヤイ像の人気は海を越え、都内をはじめ各地へ寄贈されるようになりました。渋谷のモヤイ像もそのひとつです。
モヤイの語源はイースター島のモアイ像をただもじった言葉ではなく、島のことばで「助け合い」。昔から新島では厳しい自然環境の中、島民同士が力を合わせて生活してきました。それら島民の精神を新島では「モヤイ」と呼んでおり、今なお島民に受け継がれているとても素敵な言葉です。(後略)
モヤイ像を探したくなる新島MAP
モヤイとは「舫い(もやい)」といって船を係留するためのロープのことや、新島に古くからある、力を合わせる、協力するという意味の言葉「もやい」から来ていて、その言葉とモアイ像とをもじってモヤイ像とされたそうです。モヤイ像は新島で産出される珍しい抗火石(こうがせき)から作られ、昭和50年頃に盛んに島外に寄贈され、渋谷駅のモヤイ像もその一つです。

渋谷駅のモヤイ像は歌詞のとおり当初は西口に置かれましたが、渋谷駅周辺の再開発のため2024年11月に移転され、2025年1月より現在の渋谷フクラス西側の広場で再公開されました。「モヤイ」が発表されたのは2022年5月ですから、歌詞で歌われた位置と現在の位置とは異なる、ということになります。

渋谷のモヤイ像はなんとリバーシブル!後頭部というか裏面には長髪・ヒゲの老人が掘られています。これが流人のオンジイでしょうか?

もともとの位置では待ち合わせのランドマークでもあったようですが、今の場所は待ち合わせ場所としては渋谷駅からも遠すぎ、人もクルマもただ通り過ぎるだけのちょっと寂しい場所です。こんな場所でも、モヤイ像は静かに佇み、生々流転する街並みを見つめています。
バッキンガム
バッキンガムといえばイギリス王室のバッキンガム宮殿。衛兵の交代などでもお馴染みのあの宮殿です。
宮殿は外国だけのもの?そんな事はありません。日本にもあります。それも東京都世田谷区に。それが世田谷給田!
・・・という言葉遊び的なノリで作られたのが「バッキンガム」という曲。バッキンガム宮殿→宮殿→キュウデン→給田→世田谷給田という天才的な連想で歌詞が綴られています。
給田の位置はこちら。東京都世田谷区にあります。地区の中央を京王線が貫き、また旧甲州街道や仙川も通っている、南北にやや細長い地区です。
給田地区内に鉄道駅はないですが、よく見ると京王線千歳烏山駅と仙川駅に挟まれていますね。まさに歌詞にあるとおり!
Wikipediaを見ると給田の面積は0.846 km²で郵便番号は157-0064で、これも歌詞にあるとおり。加えて歌詞では緯度経度らしき数値も歌われていますが、こちらを調べたところ民家と思われる地点がヒットしたので、ここでは紹介しません。

モヤイ像のあった渋谷駅からは京王井の頭線に乗り明大前で京王線に乗り換え、千歳烏山駅で下車。駅名標にあるとおり、次の駅は仙川駅です。

ここからは徒歩での移動。ひとまず京王線沿いの道路を歩いて給田を目指します。

線路沿いなので踏切がたくさんあり、また数分に1本のペースで電車も走ります。

のんびりと10分ほど歩いたところで、給田に到着!なんともあっさりと着いてしまいました。

ここは果樹園のようです。

京王線沿いの道はそのうちなくなってしまいましたので、旧甲州街道方面に出ました。

旧甲州街道を更に進み、仙川まできました。

京王線との距離感はこんな感じ。

昔の街道らしい、狭い道路が続きます。

給田の西側に、京王線をまたぐ橋を見つけました。

名前はシンプルに、給田一三橋!その名のとおり、これまで歩いてきた給田3丁目と給田1丁目の境目にある橋です。

なんとも味わい深い名前の橋です。

橋の向こう(南側)は、給田1丁目でした。

京王線をまたぐ橋ですので、眼下に電車が見えます。向こうにあるのは、仙川駅に隣接した駐輪場。仙川駅はすぐそこです。

駐輪場の手前に掛かる橋の名前は・・・

おらほ橋!どういう意味でしょうか?

橋のこちら側は仙川町になりました。

ちなみにこの記事を書いているときに気づいたのですが、仙川町は調布市なのですね。つまり給田は、世田谷区の端で、かつ東京23区の端でもあるわけです。

そんなこんなで、そぞろ歩いて仙川駅に到着しました。千歳烏山から仙川まで、およそ2kmの道行でした。
給田エリアは、特に何か特別なものがあるわけではなく、ごく普通の都内の住宅街という感じでした。きゅうでんという音の響きをもとに世界の名だたる宮殿を巻き込んで壮大な楽曲に仕上げる、水曜日のカンパネラの底しれぬセンスを感じた、そんな旅でした。
給食の給~~~田園の田~~~♪





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