石灰沈着性腱板炎(たぶん)を発症したので備忘録。
2025年のお正月に石灰沈着性腱板炎(たぶん)を発症しました。今後も付き合っていかなければならなそうな症状なので発症時の様子を記録しておきます。
(たぶん)と付けているのは、病院で先生に明確な病名を告げられていないためです。ただ先生の説明といろんな情報を総合するとたぶんそうなんだろうなと思います。
きっかけ
年末年始を一緒に過ごそうと思っていた #オリエントスター RK-AU0210B
— hermitcrab (@HermitcrabWeb) December 30, 2024
出発して1時間後にバネ棒が壊れて使用不能に😢
これから1週間、左手が寂しい状態で、どう過ごしたらよいのか・・・#腕時計 #orientstar pic.twitter.com/7iaSF0vlw0
2024/12/30にこんなツイートをしましたが、実はこれには前段がありました。
今回の年末年始は帰省先にRK-AU0210Bを付けて行こうと思っていたのです。そしていつもの左腕に装着し、文字盤の様子を見ようとすると・・・
グキッという音とともに左肩に激痛が走りました!!
腕時計を見る動作って普段はあまり気にしませんけど、よくよく観察してみると、肘や肩の上下運動や回転動作を複雑に行っていますよね。その中で、左肩が痛くて腕時計の文字盤を見られなくなってしまったのです。

仕方なく、普段は付け慣れない右腕に腕時計を付けた時に撮ったのがこちらの写真。このあとの帰省移動中に、慣れないせいか時計をなにかに引っ掛けるかなんかして、バネ棒をぶっ壊してしまったのでしょう。
帰省したその日に右手を負傷
帰省中はとにかく普段と異なる動きばかり行うことになります。普段と違う環境で過ごすわけですから当然のことなのですが、癖で何気なく動いてしまうと怪我をすることも。
小生はお風呂で壁に肘をぶつけ、その煽りを食って左手の爪で右手の親指の付け根をひっかき、傷を負ってしまいました。
傷そのものはまったく大したことは無いのですが、かさぶたを作らないで治したかったために湿潤療法パッドをもらって貼りました。
このパッドはこまめに貼り替えず長く貼ることで治りが早くなるので、この日以来家事や入浴などの水を扱うときになるべく右手を使わないようにしてました。つまり、普段と異なる環境で、左手・左腕を酷使することになったのです。
それでも大晦日を過ぎるくらいまでは、左肩は動作によって時々痛むことがあるかな、くらいで、ほとんどの時間は痛みを意識することはありませんでした。
図らずも寝正月となってしまった今回の年末年始
— hermitcrab (@HermitcrabWeb) January 1, 2025
本を読みながら静かに過ごすことに#養老孟司 #バカの壁 #人間の壁 #哲学 pic.twitter.com/ZZwFrMTX5P
左肩が常時痛み始める
元旦のその日。1年前は能登半島地震が起きた日でしたが、世間はある程度平和だったその日。
夜布団に入って寝ようとすると、急に左肩が痛み始めました。仰向けでも横向きでも痛いし、左腕を動かしても痛い。就寝中に痛みで何度か目覚め、肩をさすりながら痛みが収まるのを待って寝るのを繰り返しました。
2日の朝はそんな感じでやや寝不足で迎えましたが、まだ肩の痛みを紛らわすストレッチなどは行えました。
急変したのは、1年前に日航機と自衛隊機が衝突するという大事故の起こった2日の夕方。痛みが強くなり、痛みで左肩がほとんど動かせなくなりました。動かせるのは左の肘から先だけ。左手でものを掴むことはできますが、何かを取りに行くことはできません。お茶碗を持つ(というか右手で持って左手に持たせる)ことはできますが、お茶碗を口元に近づける動きはできません。これ以上は家族に隠せないので、夕飯時にカミングアウトしました。なぜなら、お酒をついでもらったりついだりするときに、両手で行うことができず右手だけになってしまうから。礼を失しているとは思われたくないので、「腕が痛いので片手ですみません」と伝えました。
左肩の痛みで眠れない
その後、普段は左手や両手で行っていたいろんなことが自由に行えなくなりました。歯磨きも洗顔もお風呂での洗髪も。服を着たり靴下を履くことも。
左肩の痛みを一時も忘れられない状態のまま就寝しましたが、痛みで眠ることができません。痛みが少しでも和らぐ姿勢がないかと布団の中で動き回り、少し良さげな姿勢を見つけて束の間まどろむも、肩の痛みに加え寝返りを打てない辛さに目が覚めてしまいます。こんなことが何度か続いた頃、時間を見るとまだ23:50だったときにはさすがに絶望しました。気晴らしに起き上がってトイレに行くも、寝る姿勢になるとまた辛い痛みがでてきます。熱っぽい感じもし、心拍数が下がりません。朝が来るのをこれほど待ちわびることがこれまでの人生であっただろうかと思うほどの辛い夜を過ごしました。
整形外科を探す
3日の朝が来ました。朝になっても左肩はほぼ動かせず、左肘は身体の側面にほぼくっついたまま。痛みで左腕全体が収縮してしまったかのような感覚です。
さすがにこの状態では厳しいし、家族にも迷惑を掛けるし、数日後に迫ってきた仕事にも差し障ります。整形外科を受診したいと考えましたが、三が日なので普通の病院はやっていません。当番医を探してみると・・・なんと滞在中の市内に整形外科の当番医がありました!
整形外科を受診
そちらに電話して受診したい旨を伝え、家族にお願いして車を出してもらい、整形外科に到着。受付を済ませて待合室で受診を待ちましたが、左肩の痛みはますます強くなってきました。最初は待合室で流れていたバラエティ番組やスマホで気を紛らわせていましたが、そのうち痛みが強すぎて貧血気味になってしまい、付き添ってもらっていたパートナーに打ち明けて待合室の長椅子に横たわることに・・・
受付してから1時間後くらいにようやく名前が呼ばれましたが、貧血によるめまいと吐き気で立って歩くことができず、看護師さんに車椅子に乗せてもらいました。車椅子のまま左肩のX線写真を取り、診察室ではまず横になって貧血が収まるまで待ちました。
すこし具合が良くなったところで、横になったまま先生の診察。たしかいろいろと聞かれて受け答えをしたと思うのですが詳細には覚えていません。診察の結果、左肩に炎症を抑える注射(アルツディスポ関節注25mg)を注射され、その後湿布を貼るという処置を行ってもらいました。
注射の効果はてきめんで、処置のあと先生に起き上がらせてもらい肩を動かしてもらったのですが、さっきまで痛くて全く動かせなかった左肩が少し動くようになったじゃないですか!これには感動しました。
そのあとX線写真を見ながら先生の診察を受けました。左肩の写真なのですが、肩の丸い関節の上に薄っすらと白い雲のようなものが見えます(こちらとほぼ同じX線写真でした)。先生曰く、これはいわゆる石灰(カルシウム)である、と。以下、先生から聞いたことです。
石灰が肩付近に貯まることはよくあることで、溜まった石灰もそれ自体はがん細胞のように悪さをするものではない。ただ何かのきっかけで炎症が起こると、今回のような急激な痛みにつながることがある。痛すぎて救急車で運ばれてくる人もいる。
今回は炎症を抑える注射をした。徐々に痛みは収まってくるはずなので、痛いうちは安静にすること。痛み止め薬と湿布も処方する。
これまで肩を酷使することはなかったか?昔楽器を弾いていたことと、今も仕事で重量級カメラを持つことがあること、実は10年くらい前から時々違和感があったことを伝えると、石灰が長年かけて溜まったとすると、すでに固くなっている可能性もある。硬い石灰を取り去る方法はあるが、超音波で粉砕する処置は保険適応外。手術する方法もあるが長期的に考える必要があるので、地元の整形外科の先生とよく相談することをおすすめする。
今回のような痛みが出たら早めに整形外科を受診し処置してもらうのが対処としては有効。同じような注射をしたことがあると伝えればきっと受診もスムーズだろう。もちろん、週に1回とかのハイペースで痛むようであれば石灰除去を考える必要があろう。
だいたい聞きたいことを聞くことができたので、先生に謝意を伝え歩いて待合室に戻りました。左腕は骨折をした人みたいに包帯で吊られましたけど、これがなんとも心地良く、左肩がとても楽になります。その後会計をし処方箋をもらいましたが、やはり三が日で開いている薬局も限られているので、最寄りの薬局を紹介してもらい車で向かいました。
その薬局は大きな総合病院のそばにあり、総合病院には車がひっきりなしに。整形外科とは比べ物にならないほどの患者が訪れているのでしょう。
薬局ではロキソプロフェンNa錠60mg「トーワ」とセボラスパップ40mgを7日分処方してもらいました。
爆睡
皆さんにお世話になりながら帰宅。昼食後それぞれの時間を過ごすことになり、少し本を読んだ後に午睡。そのまま寝続け、気づいたら夕方になっていました。いつもは昼寝をすることはあまり好きじゃないのですけど、痛みに苦しめられないなんとも気持ちの良い午睡だったことか!
数年放置していた肩痛がこのタイミングで爆発
— hermitcrab (@HermitcrabWeb) January 3, 2025
痛みで肩を全く動かせず寝られない日が続いたので、整形外科を探して受診した
レントゲン画像から石灰沈着性腱板炎と思われる
問診と処置を受け様子を見ることに
とんだ年末年始になったけど受診できて良かった…当番医さんには感謝してもしきれない
その後
整形外科を受診した日の夕方は流石にまだ左肩はあまり動きませんでした。就寝時にぶり返す痛みも若干あります。とはいえほとんど寝られなかった前日に比べると雲泥の差です。
4日は帰省の最終日。駅まで車で送ってもらい東京へ移動。乗車率100%超の列車車内ではできるだけ左肩を動かさないようにしつつ、情報収集。どうやら石灰沈着性腱板炎のようだと分かりました。小生のX線写真にそっくりな参考画像もあったり、治療方法やリハビリ方法の詳細、石灰が貯まる直接的な原因は不明(つまり決定的な予防方法は無い)であることなどが分かりました。女性に多い症状と書いてあるサイトが多いですが、たくさんのサイトを見た感じだと男性より女性の割合が多いというニュアンスが適切そう。
いわゆる四十肩や五十肩は肩関節周囲炎と呼び、石灰沈着性腱板炎とは決定的に異なるとのこと。
そして東京駅から羽田空港へ。ほぼ右手だけでキャリーケースを運ばなければならないため難儀しましたが、パートナーに助けられてなんとか到着。
左肩の調子は徐々に良くなってくる感じはありましたけど、情報によると痛みが収まるまで数週間かかることもあるようなので、無理はできません。大人しくしたまま、飛行機、バスなど乗り継ぎ、無事帰宅しました。
4日の自宅での夜はまた痛みがぶり返しました。ただ熱っぽくなるとか心拍数が上がるようなこともなく、静かにしていると眠れました。
ただ寝姿勢はやはり肩には良くなく、肩的には起きている方が楽なので、5日は早起きをして活動を開始。かなり具合が良くなり、左肩の可動域も増してきました。
動かしすぎるとやはり痛むのですが、痛みの質が変わってきた気がします。これまでの神経が疼くような痛みではなく、筋肉痛に似た鈍い痛みになってきました。筋肉痛は馴染みがありますし、筋肉痛的な痛みなら徐々に収まっていくだろうという安堵した気持ちも出てきて、何となく気分が前向きになってきました。この痛みと一生付き合っていくのではと絶望した数日前とは天と地ほどの差です。
5日は何かと忙しくしてました。家事、車の運転なども行いましたが、いずれも痛みは残りつつもほぼ不安なくこなせました。左肩の可動域は普段の60%くらいには回復した感じ。明日はもっと元気になるだろうという実感というか確信を持てています。
今思えば、最初の腕時計をつけてグキッの前にも前兆があったことを思い出しました。グキッの数日前には、寝るときに左肩が痛く、左腕をバンザイのように頭の上に上げて寝ると楽に寝られていたことがあったのです。痛みが爆発したのは1/2の夕方でしたが、実はその1週間前くらいから予兆はあったのかも。もっというと、さっきも書きましたが左肩の違和感は10年来のものでした。早く病院に行っていたらもっと良い結果になっていたことでしょうね。
ともあれ、三が日にも関わらず意を決して病院に行ったことは何よりも良かったです。早めの受診が大事。これにつきますね。
とりあえず突然の肩痛の顛末はここまで。何かあれば追記するかまた新たに記事にまとめます。




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