日韓友好交流公園「風の丘」に11年ぶりに訪れた。”アレ”は今どうなっているのか。

たび旅

鳥取県琴浦町の旧赤碕町には、日韓友好交流公園「風の丘」という韓国をテーマにした公園があります。

どうしてこんなところに韓国庭園があるのかというと、地理的に朝鮮半島に近いこの地域には昔から朝鮮人が漂着することがあり、漂着民を手厚く保護したという史実があるのです。

このエピソードを記念して、赤碕町が建設したのが「風の丘」です。

ただ、話はこれだけでは終わりません。この公園に造られた説明碑の記述を巡って、この地は日本海呼称問題に大きく揺れたことがあるのです。

「風の丘」は日本海を見下ろす丘の上にあります。昔からここには道の駅的な商業・観光施設があるのですが、その隣に造られました。

2012年に訪れた際、記事を書いています。

まずは案内図で場内をチェック。

最初に目に入ってくるのが石風車。石造りなのに風を受けて回転するんです。遠くからも見える、まさに「風の丘」のハイライトです。

梵鐘楼成鐘閣。鐘も突けるように造られたと思うのですが、現在はチェーンで固定されています。

待風亭。韓国の漁師が出漁する際、強風が収まるまでの待機所として作られた集会所を模したものとのこと。

石灯籠。韓国全羅南道求礼郡にある国宝の華厳寺覚皇殿前石灯籠を模したものとのこと。

これが日韓友好記念碑。石柱にはめられた銅板に、歴史が刻まれています。

その手前にあるのが、韓国江原道交流記念碑。文中に謎のぼかしがあります。

(前略)

この記念碑は、将来にわたり日本海■ ■ が、日韓両国にとっての平和と交流の海であることを祈念し

(後略)

おわかりでしょうか。このぼかされたところには、建設当初は「東海」と書かれていたのです。当初は日本海と東海とが併記されていたんですね。

鳥取県「韓国人救出記念碑」碑文

2007年には、鳥取県琴浦町の『韓国人救出記念碑』の表記を巡って事件が起きた。この碑は1819年に漂着した朝鮮からの船を住民が救出した出来事を記念し、両国の友好を謳って1994年に建てられたものであるが、そこに「日本海」とともに「東海」が併記されていたため、2007年3月に町民からの批判を受けて町長が「東海」の文字を削除した。

この処置に対して在日本大韓民国民団(民団)が謝罪と「東海」の併記を要求し、5月には町長が民団鳥取本部を訪問、薛幸夫(ソル・ヘンブ)団長に説明不足を謝罪する事態となった。民団はさらなる謝罪と記念碑の原状回復を要求し続けており、町は「日本海」とも「東海」のどちらも表記しないという方向で決着を図ろうと試みた。しかし、この対応に対して今度は日本国内から抗議の声が殺到、町は外務省に判断を仰ぎ、「日本海」を単独表記した碑文に張り替えることを決定した。

鳥取県「韓国人救出記念碑」碑文 日本海呼称問題 – Wikipedia

たぶんハングルの方にも東海と書かれていて、それが削り取られているのでしょう。

風の丘から漂流地を見下ろします。

この碑文の文字が削り取られたままというのは、2012年に訪れたときから変わっていませんでした。韓国大統領が親日のユン・ソンニョル氏に変わり、日韓問題は従来より下火になっている感もありますが、日韓関係は大統領交代により前進と後退を繰り返してきました。

お互いをリスペクトし合う国際関係になることを祈るばかりです。

たび旅

Posted by Hermitcrab