「博士の異常な愛情」「復活の日」に見る終末の姿。

この時代になっても、実際にリアルな人間が戦い、殺害した人間の人数で勝敗を決する戦争が起こることに、恐怖を覚えます。
全人類を複数回死滅させることができる量の核兵器を保有してしまった人類ですが、フィクションでは人類の戦争の行く先を描いたものがあります。
博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか – Wikipedia
正式タイトルがwikipediaの長大語に分類されるほど長く、日本では「博士の異常な愛情」と呼ばれるこの作品は、スタンリー・キューブリックが監督をつとめ1964年に公開されたモノクロ映画です。
ピーター・セラーズの3役演技分けも見どころですが、安全保障や自国防衛が極端に行き過ぎた世界を描いています。行き着いた先の結末は、映画公開から50年近くたつ現代でもリアルで、起こりうる状況だと思えてしまうのが怖い・・・
紛争解決の手段として、敵中枢部をゲリラ的に破壊してしまえば良い、という安易な考えもありますが・・・

安全保障はもちろんそんな状況も想定されています。それは、総司令官がいなくても下級士官の判断で報復できることや、むしろ軍隊組織の判断がなくても全自動で報復する兵器の存在です。
小松左京の長編「復活の日」は、謎の病原菌で滅亡寸前の人類に、追い打ちのように襲いかかる全自動報復装置が描かれています。生き残りを掛けた人類は全自動報復装置の停止を画策しますが・・・っと、この後はあまりにも衝撃的な結末なので言えません(wikipediaには書いてありますが)。
ウイルスと戦争。今世界で起きていることを、「博士の異常な愛情」公開と同年の1964年に小松左京は「復活の日」で予見し、終末に向かう世界とその後を詳細に書き記しました。ぜひ読んでみてください。






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